第20章 ダイナミックな「私たち」
文化的健忘症にかかっている。選択的な記憶をもつために、自分たちの民族にはそれを支える本質が根底にあり、その本質はアイデンティティを示す重要な標識によって刻み込まれていると思っている。
何やら重要そうなワード。実際にはアイデンティティを示すしるしは常に変化している。アメリカの国旗の変遷の話はわかりやすい。
社会は変化を免れない
デスヨネー。なんか文化的?というか経済的?というかなにかに「変わらないもの」みたいなのを追い求めるマーケティング好きじゃないんだよな。自然科学的にっていうのはわかるんですが。。。
Ethnic Groups and Boundaries: The Social Organization of Culture Difference, Fredrik Barth (著, 編集) 1969が引用されている。書籍紹介文を意訳(DeepL)すると
ノルウェーで出版された『エスニック・グループと境界』は、エスニック研究の新しい時代への移行を示すものであった。今日、この多くの引用を集める古典は、エスニシティに関する現在の人類学的思考の多くを生み出す原典と見なされている。エスニック・グループと境界』は、エスニック・グループの分析における重要な理論的問題を紹介する、バルトの30ページに及ぶ貴重なエッセイで幕を開けます。本書では、ノルウェー、スーダン、エチオピア、メキシコ、アフガニスタン、ラオスなど、様々な民族学的地域における多民族組織の問題に対して、バルトの分析的視点が異なる側面から適用されていることを説明することを意図しています。
生物学や哲学で話がある、単純なレベルの安定(物理的な安定)と複雑なレベルの安定(生命のように、相互運動プロセスが働いた上での安定)の2つがあるという話かな。安定したパフォーマンスを出せるチームを求めるなら、内部の構造や関係性は常にダイナミックで不安定なものにしないといけないことを忘れがちなので、注意していきたい
境界線はしるしを超えていくっていうのそうですよね。。。
アイデンティティを固定化する知恵がなかったけど、生き残るのに必要なものは形として定着するっていうの、まさに生き物だなーって感じがする。
良い慣習でも意図せず好ましくない方向へ変わってしまうことがあるっていうのを考えると、人の進歩?進化?というのは他の生物と同じくめちゃくちゃゆっくりで、「こうありたい」っていう祈りは本当にちっぽけな感じだなーって思い直した。まぁそれを覆すようなことをイノベーションって言っているのかもしれないが。